低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

歯列矯正のワイヤー

こんにちは、嘉村 朗です。

噛み合わせを良くするための歯列矯正を始めました。

いよいよ上顎にブラケットとワイヤーが装着されました。

 

目立たない白いワイヤーもあるよと言われましたが銀のワイヤーでお願いしました。

ものが食べにくいという不便はありますが、見た目はなかなかに可愛くて気に入っています♪

 

眼鏡とかピアス、マスクや眼帯、入れ墨、ゴーグルなど顔に何かついている状態を昔からカッコイイものに感じているのもあるせいか、矯正器具をつける機会ができて喜んでいる自分がいます。

次回の通院で歯を2本抜くそうです。特に問題のない歯を抜くのはちょっともったいないように感じますが、噛み合わせと審美性のために抜いたほうがよいそうです。

 

歯ごたえのある食べ物が好きですが、これから1~2年のあいだは柔らかいものを楽しむ期間なんだと思って調理法を変えて料理していこうと思います(^o^)

「Colorful!」Vol.85配信日です|「まじめだけど、したいんです!」44話掲載

こんにちは、嘉村 朗です。

web雑誌「Colorful!」Vol.85の配信日です。

「まじめだけど、したいんです!」44話掲載されています。

 

「Colorful!」はVol.85で7周年を迎えました。

「Colorful!」創刊とともに始まった「まじめだけど、したいんです!」もおかげさまで7周年を迎えました。どうもありがとうございます!

雑誌の表紙イラストを担当いたしました。

7周年。
星占いでは「7」という数字は自分が一通り出来上がった次のステップ。自分以外のひとと関わる段階。
雑誌「Colorful!」が7周年を迎えたというのは、「Colorful!」らしさが出来上がったという非常におめでたい節目なのかもしれないと考えました。
外へ向かって自分を積極的に出していくこと、自分から外へ関わっていくことが大事という意味もありますので、
今回のイラストには<読者さんたちに呼びかけ、元気に迎えるイメージ>も込めてみました。
 
今後とも「Colorful!」と「まじめだけど、したいんです!」をよろしくお願いいたします。

 

何も成していなくても、楽しく生きていいのだな

こんにちは、嘉村 朗です。

毎日たのしいこと、素敵なこと、嬉しいこと、奇跡のような現象に遭遇しています。

ブログに書いて残していきたいのに、書けないのです。

 

「漫画を全然描けていないくせに、楽しげに生きているなんて許されない」と心のどこかで罪悪感を持っているからです。

 

でも、そんなことを感じているのはわたしだけなんです。

 

だれもそんなふうに思っていないのです。わたしが勝手に罪悪感を感じているだけなのです。

 

みんなそうやって、自分に何かしらの制限をかけて不自由になっているんだろうなと思います。

 

わたしはもうすぐその自縄自縛状態の制限から離れられそうです。

「わたしは漫画を描けなくてもいいんだ!」って、納得できそうです。

 

 

そして、もっともっと楽しくて面白いものを作れそうな予感がしています。

 

わたしが作ったものに接触したみんなも「それなら私にもできそう!」と感じられるような、ラクなスタイルでワクワクするようなひらめきを共有できるような、そういうモノ作りをできるような気がしています。

わたしにとっての「自分を受け入れる」。そして「自分だけのやり方」

こんにちは、嘉村 朗です。

「自分なりの方法で」「自分に合ったもので」巷にあふれるフレーズですが、これの意味するところに納得していますか?

わたしは全然わかっていませんでした。「自分で選ぶと失敗する」、「自分で選ぶとダサいって言われるから自分で決めたくない」という考えが強かったせいもあり、「わたしだけのスタイルなんか存在しない方がこの世の善である」とすら思っていました。

そんなわたしでも最近になって「これからの人生では自分にとってしっくりくるものを選んで生きていきたい!」と思えるようになってきました。

最近わかったことを書いていこうと思います。

 

「これがわたしっぽい絵柄だ!」と得意になる時代

わたしにも最初はあったんです。

「これがわたしっぽい絵柄だ!」

とか

「こういう髪の描き方が好き!」

「わたしの絵の女の子は目をこう描くんだ!」

そんなふうに自分の好きなものや自分ぽいスタイルを肯定する心があったんです。

 

パーツの描き方やニュアンスの出し方を新しく身に着けては得意げになって何度も誇張して描きました。

所持している漫画本の中からあれこれ気に入ったコマの絵を真似して描いたりもしました。そして特に描いていて気持ちのいい絵やみんなが描いていない雰囲気の絵柄を「自分のモノだ!」と決めて喜んでいた感じが小学4年生くらいまでのわたしにはありました。

 

「これがわたし流♪」を否定する時代

でも、いつからかそういうワクワクした遊び心や根拠のない自信を自分の手で1つ1つ潰していったように思います。

小学校高学年の頃から、「自分らしいやり方」「自分流のやり方」というものを軽視するようになったなあと思います。

「これが自分の絵柄」とか「これが自分の作風」とか言っちゃう感じを馬鹿にし始めました。

 

先生や親、大人が納得するような絵を描けなきゃ全然話にならないんだ!と勝手に勘違いし始めたのです。

自分の作ったものに他人が納得してくれなければ嫌だ!完全に好きになってくれなければ意味がない!という気持ちに近い感覚でした。

 

先生や親が褒める作品の作り手にどうして自分はなれないんだろう。

つらい。

わたしだってできてもおかしくないのに!!

という傲慢さが自分をどんどんおかしくしていきました。今になって思うと、ですが……。

 

ちなみに、先生や親が褒めている作品というのはミケランジェロだったりモーツァルトです。

 

自分のことを無敵で完全だと思っていた

先生や親、大人が「あなたはミケランジェロの絵には全然及ばないね」と煽ってきたわけでもないですし、「絵を描くなら超絶技巧の1つでも身につけなさい」と求めてきたわけでもありません。理解のない大人の無神経な言葉のせいで純粋無垢なわたしの心が傷ついて歪んでしまったのではありません。

子供のわたしが「わたしはめちゃめちゃ凄い人間だから、そんくらいわたしにもやれるっつーの!」と目に入るモノすべてを勝手にライバル視していきがっていただけなんです。

全然できてないのに。

教科書に載っている絵画、音楽、小説、スポーツetc. どれも好きでもないしやりたくもないのに、です。

そうしてみんなが納得してくれそうなものを目指して頑張っているうちに自分の好きなものがわからなくなったのかもしれません。「自分の感性で選んだものはショボくてつまらないものなんだ」といつの間にか考えるようになりました。

 

「自分を受け入れる」に対する誤解

自分のことを凄いと思っているのに実際は全然たいしたことない自分。

「できない自分を受け入れよう。そうしたら生きるのがラクになるよ」と言われても、わたしにはなかなかできませんでした。「フツーの自分を許そう!認めよう!」なんて言われるとすごく悲しい気持ち、怖がる気持ちが先に立ちました。

「あなたは全然すごくないんです。でも生きていていいんです」

そんな言い回しでは全然元気が湧いてきません。わたしには卑屈な言葉に聞こえます。

 

わたしには生まれつき「自分は凄いんだ」という気持ちや意識がありました。

そういう感覚を全否定しなさいと言われているようで、自分の中の<本当の感覚>をなかったことにしろと言われているようで嫌でした。

「自分はすごくない」と意識を書き換えるのはわたしにとって嘘だからです。

でもわたしには「自分を受け入れる」ことが必要なのもわかっていました。

どうしたらいいんだろう。

わたしは「自分を受け入れる」方法を誤解していました。「フツーの自分を許そう!認めよう!」というメッセージを、わたしにぴったりの言い回しに変換できていなかったから…。

 

わたしにとっての自分を受け入れる

嘉村朗にとっての結論を先に書きますと以下のとおりです。

「わたしは凄いんだ!何でもできるんだ!」という感覚を持ちながら生きてみて、実際はなんでもかんでも思い通りにはいかなかったし、これからも理想通りにはならないだろう。」これまでの人生を通じて、そんなことを身に沁みてわかった。

(2023/04/20現在)

こんなかんじです。

わたしには、こんな言い回しがしっくりきています。

 

「わたしは凄いけど、上手くいかないし間違えるし迷うし、よくおかしくなる。」そういうことがこれまでの人生経験でわかりました。そんなことを思い知るために36年くらい必要だったんだなと思えました。

 

自分のことがちょっと理解できた。そして……

自分の癖とか、自分の陥りがちなパターンを知ったいま、「自分なりの方法」を見つけてみようという考え方ができるようになってきました。

わたしにとって良いこと

わたしにとってラクにできること

わたしにとって頑張れること……

 

そういうものを「自分で選んでいいんだ!」と思えるようになってきたんです。

 

漫画についても長らく混迷していましたが、自分のペースで、自分の好きなようにを大事にしながら取り組んでいったら、また楽しく描けるようになるかもしれないと希望が見えてきました。

あまり自分にがっかりしないで、今日の自分ができたこと、やったことを確認しながらわたしにぴったりの生き方を作っていきたいなと思っています。

想像を超えた未来が今日も…

こんにちは、嘉村 朗です。

プレゼントいただいた美味しいお酒。
新酒の「作」です。

どうもありがとうございます!

毎日おいしいものを食べられて

毎日たのしいことがあって

毎日、すごい発見がある。

 

一年前にはこんな素晴らしい時間を過ごしているなんて想像もしていませんでした。

そんなことをカレと話しながら、わたしは今から一年後に自分がどんなふうに生きているかも想像できていないだろうと思いました。

 

そう思ったとき、「いまのわたしが想像している未来」を頑張って実現しようとしなくてもいいのかなって思いました。

 

いまのわたしが「こうなったらいいな」と想像したり望んでいる未来に繋がりそうなことだけを選んだり、願いに直結しなさそうなものを避けたり排除することが大事なのかなとこれまでのわたしは考えていました。

しかしながら、そのようにして夢や理想を自分の手で整えていこうとしたところで、いまの自分が思いつく範囲でしか実現しません。

 

本当はもっともっと世界は広くて可能性は無限にあって、自分の想像もつかないようなことでいっぱいなのに。

 

 

じゃあどうしたらいいのか?

 

予想外のできごと、初めての体験、気づかなかったモノやコトに出会ったら、それを喜んだり面白がったりするだけでいいのかなと考えました。

 

そうするだけで
過去の自分の想像以上のわたしが
今この瞬間に出来上がるなあと
思うからです。

 

昨夜もカレのお好み焼き♪

角切りの新玉ねぎがシャキッ、生地はふわとろで美味しかったです。

週に一度はお好み焼きを食べていますね。

 

一年前にはお好み焼きがこんなに頻繁に食卓に並ぶ生活をするなんて夢にも思っていませんでした笑。

漫画を描くということ

こんにちは、嘉村 朗です。

 

ブルーベリーのお花。

すずらんのように下を向いて咲いています。白いけれど淡い赤紫色をしていて可憐です。

 

なかなか漫画が描けなくて「もう漫画を描けないのかな…」と挫けたがっている心と、「漫画はこれからもいっぱい描くものがあるじゃないか!」と奮い立たせようとする心が交互に押し寄せては引いてを繰り返していましたが、そのたびにWEB拍手Twitterで応援のメッセージを送ってくださるかたがぽっと現れて優しいメッセージに大変励まされました。

いつもどうもありがとうございます。

 

今日もうまく描けないなりに前進できました。

お話の先を思いつかなくても、とりあえず紙を机に出して、コマを割って何か描いてみたらいいんだよなって思えたんです。

今のわたしはお話の冒頭から終わりまでの見通しがたっていないとネームを描くことができないと強く思い込んでいるだけで、

 

漫画を描くっていうのは

なんとなく頭に浮かんだ場面やセリフを描いたら、

なんとなく次に思い浮かんだ場面やセリフが思いついて

そのまま描いてみただけで漫画ぽいものが出来上がる。

それの連続なのかなって思えたんです。

 

小学生の頃に漫画を描いていたときの楽しい感覚はそんな感じだったなって。

漫画っぽいものを描いていることがただただ楽しかったような気がするんです。

描いている本人もよくわかっていないけれど、「漫画っぽい何か」を描いていること自体に夢中になっていました。頭に勝手に浮かんでくる「何か」を紙に描きたくてしかたなかったんです。

 

 

頭に勝手に浮かんでくるもの、

心に勝手に入ってきたもの、

耳に聞こえてきた音、

手が描きたがっている線、

口に出して楽しい言葉、

言葉にできないけれどドキドキする空気の香り、

肌が覚えている質感……。

 

そういうものを目の前に現れたままに無理なくそのまま描いてみたらいいのかもしれません。

 

ものを作るって、自分らしく動くって、そういうことなのかもしれません。

至高のハンバーグ作ってみました

こんにちは、嘉村 朗です。

今日は久しぶりにハンバーグを作ってみました。

 

 

リュウジさんの至高のハンバーグのレシピで作ってみました。

粉ゼラチンの効果でしょうか、縮んで固くなることも少なくとても美味しくできました☆

大きなハンバーグってワクワクしますね。

 


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