低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

とりとめのない文章|「自分のしたいこと」を自覚することについて

こんにちは、嘉村 朗です。

 

ここ数日、眠くて横になっているか料理して食べるかでした。

料理といっても味がいまいち決まらず、中途半端でへんてこりんな味付けのものばかり……。

 

 

先日、太陽の周りに円環が見えました。

ハロという光学現象らしいです。

 

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ハロが見えたからなんだって感じで、小川を流れる水のように出来事が時間とともにだらだら流れていくようすを眺めている自分がいます。

 

次の漫画のネームを作らないとやばいやばいと思いつつ……頭がぼんやりしてキャラが動くとか楽しい気持ちを作ることもできずに暗い気分でいました。

 

 

今日、突然お腹を壊して痛みを感じているときに、「楽しい気持ちを思い出すように、わくわくする気持ちを探すように、漫画もたくさん試してみればいいじゃないか」という考えがふと浮かびました。

ふと開いた先生の「私たちはどうかしている」12巻にも主人公の七桜が自分の好きな御菓子作りについて思い出すお話が収録されていて、自分が好きだと思う御菓子を作ること――という大事なメッセージがありました。

 

わたしも以前から「自分が好きな漫画を描けばいいんだ」「自分が楽しかった感覚で描けばいいんだ」と自分自身に言い聞かせてそういう「自分の漫画作り」を思い出そうと必死になっていました。でもなかなか楽しくならなくて、頭も心もクリアにならなくて、悔しくてつらいばかりでした。

もっと自分の楽しいことだけに集中してもいいのかもしれません。一緒に仕事している人、周りで応援してくれる人、わたしの視界にはいるすべてのひとのことを置いておいて、まずは自分だけのことに集中して自分の大事なことを思い出す必要があるような……。

 

みんなの事情や気持ち、関係の空気を把握し、それらを踏まえた上で自分はどうしたいかという態度自体が間違っていると思いました。

 

まずは自分のしたいことをはっきりさせないと。

 

自分をわかってはじめて、みんなと自分の都合の落とし所を考えることができるのではないか?

「自分のしたいこと」の中に他者の事情なんてノイズを入れて考えるから、あらゆることがブレて嘘になってしまうのかもしれないと思いました。

「自分のこと」、「自分の気持ち」、「自分の感じ方」、「自分の生き方」は純粋に自分だけの都合で決めていいのだと思いました。それを押し通すか否かは現実に置かれた状況で調整すればいいものです。「自分のしたいこと」と「他者と生きるために自分の振る舞いをどう調整するか」は同時に存在しているのであって、他者と生きるために自分の本当の気持ちや考えを変える必要なんてないのだなあと思いました。

 

とはいえ、自分のしたいことをピュアに自覚するというのはまた単純なようで難しいとも思います。そういう過程を漫画にするのもよいですね。