低徊趣味ぶろぐ

漫画家・嘉村朗のブログ

今週のお題「宿題」/読書感想文が書けなかったわけ

小中学生の頃は宿題というものがとても大変だった。
夏休みの宿題では読書感想文と自由研究が非常にだるかった。

一生懸命に取り組んでいるのに一体自分が何をしているのかわからなかったし、ちゃんと「作り上げている」実感がなかなか得られなくて非常に苦しかった。
それはたぶん、宿題の「正解」を探していたからだと思う。

読書感想文や自由研究は数学のワークみたいに答えが決まっていない。
漢字書き取りみたいにノートを漢字で埋め尽くせばOKというものでもない。(漢字書き取りは漢字を覚えることが目的であって、漢字とよばれる図形でノートを埋めることではない…ということには気をつけたいよネ。わたしはいつも途中から本来の目的を忘れていた…)

だけど当時のわたしは読書感想文の「正しい書き方」とか、
自由研究の「こうあるべき姿」みたいのを探していたように思う。

そんなものはないのに…。

読書感想文の書き方を解説してくれる本とかプリントとかたくさんあったけれど、
読んでも、真似してもなかなかうまく作文は書けなかった。
読書感想文の書き方のセオリーを知ったところでうまく書けなかったところをみると、
読書感想文が書けないのは文章構成の基礎を理解しているかどうかとはまた別の問題があるのだと思う。

作文のセオリーってあれでしょ。
読書を通じて何を考えたのか、どうしてそんなことを考えてしまったのか、
これから自分はどうしたらいいのか、を箇条書きにしてさらに順序立ててまとめればいいってやつです。
……そうはいってもね。「何を考えたのか」だって?????何も考えなかったぜチキショーってなるんだよ。

わたしにとって読書感想文の問題は、「読書をしながら何かを感じ取る自分」に気づくかどうかだった。
面白い読書感想は本の内容のアラ探しではなし、作者が何を言いたいのかをTVの文法で語ることでもないと思っている。
必ずしも作者が言いたいこと、作者の意図を汲み取ったり想像したりしながら読もうとしなくていい。
わたしは作者の意図を読み取ることが読書感想文のための読書だと思い込んでいたので、本を読むのも一苦労だったように思う。

長い文章の中でたまに現れてくる、自分にとって妙に引っかかる部分。それに出会うことを期待して読むスタイルだってアリだった。そして「なんでこんなに引っかかるんだ俺…」と思考を巡らせる旅にでればいい…。そしたら本の内容を別の言い方で解説したようなつまらん感想文なんて書かなくてすんだのに。もっと突飛な発想が生まれたり、その突飛な発想の角度から改めて本を読み解くことだってできたのに。(とはいえ、このような「書けない」体験を積むことが小学生の宿題が担う重要な役割だったりするのかもねー。今思うと…)

読書感想文を書く前に、読書の楽しみ方がわからなかったんだな。
不自由な読み方をしていたんだ。わたしは。