こんにちは、嘉村 朗です。
ここ数日、ネームをいろいろとこねくり回しているなかで「お話の中でキャラが動くこと」についてわかったことがありました。
- キャラがしたいようにさせる。
- キャラの気持ちを観察する。
- キャラ同士がわらわらやり取りをしている様子をただ見ているだけでいいということ。
これは、容器の中の蛾を見ていたときの感覚、
容器の中のぬか床を観察するときの感覚に通じているなあと思いました。
ただ起きていることや起きてしまったことを見ているだけでいいということ。
お話を作ろうとするのでなく、キャラが活動している様子をありのままによく見ることが大事なんだと思いました。
これは前々から作家同士で話していたことだし、漫画の描き方の本にも絶対書いてあるし、自分のブログにもたびたび書いていたことでした。
それなのに、すぐにわからなくなったり、できなくなる。
- もっとスゴイお話になるように……
- もっとつじつまの合う話になるように……
- こんな醜い感情や行動をするキャラはよくない……好かれない……
そういうわたしの理想や都合が、キャラの本当に感じていることや自然な行動を見えなくしていたなあと思いました。
「本当に思っていること」を直視するのは怖いしツラいこともあります。わたしは長らくそういう感情を無視したりごまかしたりしてきました。
でもまずは、嫌な姿や怖い考えを直視し、手にとってから、「さて、わたしはどうするか?」を考えてみるものなんだなあと思いました。嫌な感情や怖い考えを抱きながらも、ちゃんと考えられるわたしもいるし、誠実に判断し行動できるわたしも同時に存在できるはずです。
わたしはずっと人間の嫌な面を描かずにきました。でもそういう負の面も、ちゃんと描くときが来たのかもしれません。それはわたしの漫画が鬱っぽくなったり暗くなったりするのを意味しません。相変わらずのノーテンキなハッピーラブコメのまま、キャラの醜い面も描けるようになるために必要な気づきであり、葛藤の時間だったのかもしれません。
今度こそ面白い漫画が描けるように願って、仕事をがんばります!